05'立川への道
〜「ヒトは21キロ以上走れる生き物である」という仮説の証明と考察〜


2005年3月13日、大都会東京の顔とも言える立川市で、立川ハーフマラソンが行われた。
オレがこの大会に申し込んだのは去年の12月くらい。みんな出る雰囲気だったので出るしかねぇか・・・って感じで申し込み。
まぁそん時はベスト出た直後で、調子が良かったし調子に乗ってたために、「いっちゃいますか!?」くらいのノリだったね。
でもすでに彼は重大なミスを犯している事に気付いていなかった・・。

順風満帆(多分)だった彼に試練が訪れた。
申し込んだ直後に行われた対抗駅伝で、左腰および右腰に強烈な痛みが走り、しっかり故障。全治は大体2週間。
それが治った頃には、世間は「テスト近づいてますから」って雰囲気を醸し出していた。
そこでようやくオレは気付いた。自分が物理学科であることを。世界で一番進級するのが難しいと言われているG習院大学理学部物理学科。
そんでケガが治って再び走り始めたものの、あまり走ってばっかってわけにはいかねーかって思いがフツフツと沸いてきてしまった。
しかも問題は、リアルに進級があやういっていう事実。シャレになりませんから・・・。

新年明けまして、長距離の練習には一回しか参加せず、さすがのオレも素で勉強したさ。それでもちょくちょく走ってはいたのよ。
そしていよいよテストも近づいてきたある日、二つ目の事件が起こる・・。てゆーかすでにテストが二つ目の事件だから、三つ目か。
なんかだるいなぁ→寒気すんなー→ず、頭痛じゃね?→「インフルエンザですね。」宣告はあまりにも非情だった。
確かにだるさ、寒気、頭痛のせいで勉強はできなかったが、食欲は旺盛で、豚の生姜焼きとかガンガン食ってたのに・・・。
まぁインフルなんとかってゆー謎の病気は一日かけてしっかり治したが、勉強にしても走りにしても、相当のブランクができてしまっていた。

んでテストはまぁボチボチ何個か単位落として、それでもギリで進級できるだろって手ごたえは感じたね。多分。
やっとテストも終わったぜ!ってことで本格的に走り始め、なんとか戻ってきたかなって思った矢先、第四の事件が。

右ヒザすげーいてーよ・・・。再・発。オレは半月板損傷かもとか思い、野沢医師のもとへ。
「あー、ないない。」とまさに一蹴。見てもいねーよこの人は!
このケガが意外と長引き、春合宿は一人でストイックに砂浜を走ってました。なんか泣きそうになりました。
ホント、合宿で走れなかったのが一番痛かった。オレってヤツは・・・。
それでもオレは、立川は走る気でいたのでミーティングで、「距離走として練習の一環と考えて走りたいです。」・・えらそーに。

合宿が終わる辺りでケガも大分よくなってきた。
そして復帰後初のポイント練。自分の衰えに気付く・・・。コンナハズデハ・・・。
結局本番までは必死こいて練習したが、所詮付け焼刃。このままだときついー。で、あっという間にハーフ当日。

スタート時間が9:15となかなか早いため、四時に起床。一時間ボ〜っとしてから飯。で、5時40分くらいに出発。
空明るっ!12月の日体のときなんか、早朝っていうよりか深夜だったのに。春の訪れを感じま・・せん。さみーよ。
オレに二回も乗り換えさせるなんて上等じゃねーかとか思いつつ、西立川に到着。そして古木チーフ兼助教授はビリでした。
まだ肌寒い中アップ開始。そしてストレッチしつつ今回の最新兵器を取り出す。その名も「ひざかんたん」。テーピングです。
オレはすげー素直な性格だと最近指摘されました。どうしてかって言うと、例えばチタンテープ。あれを貼った次の瞬間には「熱くなってきたわ!」ってな具合です。 痛みも治った気がしますから。後は軟膏を塗った瞬間から、いきなりヒザの動きがよくなったり。極めつけはアミノバイタル。あれ飲んで寝たという事実だけで、 疲れが体に残ってません。とゆーか残ってない気がする感じ。大事なのは飲んだことではなく、飲んだという事実。それで十分。
そんなオレの前にあらわれた胡散臭いテーピング用品は、もちろんサイスさんからのプレゼント。
なんかヒザを囲むようにして貼るヤツなんだけど、説明書に「スポーツ時にヒザの痛みが気になる方にオススメ」って書いてあったもんだから、さぁ大変。
・・・あ、痛みがなくなった・・・。こんな感じです。ヒザの不安もイチコロ。
これで準備万端。あとはスタートを迎えるのみ。

9:15スタート。最初の5キロは自衛隊駐屯地内の滑走路を走る。オレは箱根予選に出れなかったので、滑走路を走るのは初めて。
そんな滑走路童貞の僕には、この初体験は刺激的過ぎました・・・。5キロの設定タイムから1分も遅れてる〜。
萎えました。しかもラップ取るの忘れたし。
そのままコースは市街地へ。1キロ1キロが果てしなく感じて、女子とかおっさんが異常に速くて、もう精神的に辛かったッス。
途中補助員のおっさんと警察官が言い争いしてて、絶対普段なら面白いはずなのに、気にする余裕がありませんでした。人間失格ですね。
でも市街地後半はトランスしかけていい感じでした。ところが、コースが公園内に入った瞬間から事態は一変しました・・・。

実は前日、先輩とかみんなが口を揃えて「公園入ってからがヤバイ」と言っていたので、正直心配だったんですが、あー、こういうことね・・。
もうね、平地がねーのよ。てゆーかほぼ上り。マジ足が動かなくなってきてたから、余計にきつかった。正直しんどい。
公園内でずっと思っていたことは、走るのをやめたいってことではなく、オウチニカエリタイ・・・。
この思いにジェンキンスさん曽我ひとみさん夫妻が共鳴したのか、オレに最後の力を与えてくれた。サンキュー・・・。
あとウザイ上り坂は、「オレは上り坂を走るためだけに生まれてきた男だ。」とか古木さんばりに一人で呟きながら(心の中でね!)乗り切りました。
そしてラスト1キロ。のはずが、すげー長く感じたわ。もう無限にラスト1キロなんじゃねえかってほど長かった。
んでゴール。結局一回もラップを刻まなかったウォッチが、1:22:03というタイムを写してました。
つまり、遅すぎってことッス。ホントへこみました。自分の力のなさを痛感。

結局このタイムになんの言い訳もできません。オフのときに起きた四つの事件、ケガ、テスト、インフレ、ケガの内、三つは自分が悪いわけですし。 あ、ちなみにテストは学校が悪いッス。絶対。
あと、重大なミスって言うのは、今まで経験したレースの最長距離が8キロだったってことです。もっと長い距離を走っておきたかったってゆー気持ちがありました。 まぁこれもケガさえしてなければ、春合宿等で体験できたんでしょうけど。痛恨。
なーんて真面目に書いてみましたが、正直完走できてよかったわー。いい練習になりました。だってほら、上の方に書いてありますやん。オレのセリフが。
「距離走として練習の一環と考えて走りたいです。」
全て予定通りですな・・。
まぁ冗談はさておき、いい経験になったことは事実ですし、気落ちせずにまた春からのトラックレースに向けて頑張っていきたいと思います。
ちなみに教授、助教授、そして自分の三人とも、仮説の証明はできました。
サイスさん、古田さん、ラストレースお疲れ様でした。   証明終わり■


ぽっくんトラックレースがいい。
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